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映画グラスホッパーの原作小説との相違点、感想、レビュー【ネタバレあり】

だいぶ前に映画グラスホッパーを見てきました。結構原作をしっかり読み込んでいたので、初見の人、映画と原作を割り切ってる人とはまた違った感想になるのかな、と思います。いかんせんジャニオタなので、若干蝉贔屓になってるかもしれません。とりあえず自分にとっても分かりやすいように、箇条書きにして、できるだけ映画の時系列に沿って、映画の感想を原作小説との違いをネタバレも含め書いていきます!相当長くなると思いますが、最後にまとめもあるので是非最後までお付き合いください!(※原作読んでない人には分かりにくいかもしれませんが、槿というのは押し屋のことです)

 
・何故ハロウィン?
まず、原作はハロウィンが舞台ではないので、何故映画はハロウィンを舞台にしたのか全く分かりませんでした。確かに、都会で沢山の人がひとつの場所に集まっている中でおこる殺人のイメージ、つまり「群集相」のイメージをより強くする役割はあったような気がします。それか渋谷のハロウィンのお祭り騒ぎに対して、いずれこういうことが起こるかもよ…と伝えたかったのか…?まあでも、わざわざ入れるほどの設定か?と聞かれるとそうではないですね。
 
途中でもっともらしくハロウィンの占いのケーキで鈴木が妻にプロポーズの返事をもらうシーンがありますが、あれも後付け感すごくて、このシーンいる?と思いました。だって、学校の給食室でプロポーズして、指輪を中に入れて焼いてそれ食べるって、ギャグですか?みたいな。そういうの気にならない人はいいんでしょうけど、私は「なんだこのシーン?」といった感じでした。もしかすると公開日と合わせた話題づくりのためにハロウィンにしたのかもしれませんが、完全に蛇足だと思います。設定を生かしきれてない。
 
・鈴木の妻の死
原作で名前すらない鈴木の妻が、映画では百合子という名前が与えられているのにも驚きましたが、それ以上に驚いたのはなんといっても殺され方。原作では、寺原Jrの悪ふざけの一環でなんの意味もなく轢き殺されます。しかし、映画で鈴木の妻である百合子を轢くのは寺原Jrではなく、寺原Jrに操られたクスリをやっている男。しかもその理由が、「合成麻薬をやっている男が人を大量に轢くことで、警察の合成麻薬の取り締まりを厳しくさせ、市場バランスを崩し、寺原たちが合成麻薬の販売を独占するため」というものでした。いや、その理由付けいる?(笑)正直、何故寺原Jrでなく他の人に殺させたのか、合成麻薬の話をつけたのか、よく分からなかったです。独占販売するにも他にやり方はあるだろうし、理由としても弱いような…。しかも寺原Jrがひいたのでなければ、鈴木の復讐心はもう少しひいた男本人に向いてもいい気がします。
 
また、カボチャの仮装をした子供がすみれたちの仲間なのは最後に分かりましたが、あの事故現場にあの子供がいたのは偶然ということでいいのでしょうか?どうせだったら百合子の死も仕組まれた計算の内だったりするほうが面白いと思うんですけど…。あの百合子が助けた子供がイマイチすっきりしませんでしたね。
 
・鈴木の人物像
原作では本当に普通の人のように感じました。普通の人が復讐に燃えてたら、変なのに巻き込まれた、みたいな。復讐のための行動力から推察するに、むしろ普通よりタフな印象も受けました。だって妻をひき殺した相手を殺すために自らフロイラインに乗り込んでいく男ですよ。度胸めっちゃある(笑)最後の槿からネタバレされるときは少し情けなかったですが。まあ、殺し屋ばかり出てくる中で、唯一読者が共感できるところがあるような人物ではないでしょうか。
 
映画での鈴木はものすごく情けない人に描かれていて、走り方も変だし、スーツに汗染みでちゃってるし、勧誘も下手くそでしたね。「ここまでヘタレなやつは復讐とか考えなくない?」と思いました。まあ、生田斗真が演じる役として、原作の鈴木はあまりにも無個性すぎるし、あそこまで無個性な人が主人公だと映画としてつまらないから、そういうヘタレなところで個性を出したのかなとも思いましたが。普通に考えて、スクランブル交差点で拾った紙切れに書かれている通りに行動する人間なんかそうそういないので、個性丸出しですね。
 
・バカ女の存在
原作ではスズメバチの片割れ、映画ではバカ女。男女の2人組が1人の女になったのはやはり映画なので登場人物を少なくしたかったのでしょうか?原作で鈴木に思い起こされることが多いのは男のほうですが、やはり勧誘にあう必要があるから女になったのでしょうね。まあ、別に2人が1人になったところで、男が女になったところで、この「グラスホッパー」での役割はあまり変わらないです。しかし、私は「マリアビートル」まで読んで、この映画を見てしまった!!ここが問題だった!!!いやマリアビートルでもめちゃくちゃ重要って訳じゃないけど…。でもマリアビートルどうすんの?みたいな(笑)マリアビートルも映画化する気あるんならどうするんでしょうね。謎です。
 
あと、途中でこの女のカットを入れすぎたことで、最後の展開が読めてしまうというか…。寺原グループに捕まった後もいかにも怪しいんですよね。だから「えっこの人が寺原殺しちゃうの?」という驚きがなかったのが残念。
 
・鯨の最初の記者の殺し方
鯨は目を見るだけで自殺させる能力?みたいなものを持っているのですが、それの説明が詳しくないせいで、映画だと突然特殊能力で自殺させてるみたいになってますね(笑)小説だと、鯨の目を見ることで、陰鬱な気持ちが増大し、過去の罪の意識や罪悪感が急速に流れ出してきて、一種の鬱のような状態になり、自殺をするわけです。いってしまえば鬱の人が自殺をすることは珍しくないですし、「人を鬱にさせる→自殺させる」というメカニズムを知ると、まあそこまで突拍子もない能力には思えません。でも映画だと、本当突然目で人を殺すみたいになってて(笑)なんだこれ(笑)あそこはもう少し説明あったほうがよかったんじゃないかなと思いました。
 
あと最終的に記者がのってる椅子?を蹴るのは鯨なので、「これって自殺に入るの?」という疑問は残りました。あの時記者は正気に戻っていたので、自殺というよりは鯨に殺されてると判断するのが正しいような…。自殺させる殺し屋なのに…。あの描写必要でしたか?
 
また、原作で最初に梶の秘書を自殺させたときの、
「誰かが責任を被って、自殺するというやり方は、それなりに効果があるんだ」
「誰かが自殺すると、面倒臭くなる。効果があるんだ」
「生贄を差し出されると、理屈に合わなくても、それ以上責めるのが面倒臭くなる」
といったような、自殺させる相手を説き伏せる台詞も入れて欲しかったな、とも思ったり。中々面白くて興味深い台詞が多かったので、是非浅野さんに言ってほしかったなー。
 
全然関係ないですけど、浅野さんは目が片方が一重、もう片方が二重なんですよ。で、片目だけのアップになったときに二重のほうだったのが意味もなく面白かったです。あ、そこ二重のほうなんだ?って(笑)一重のほうが虚ろな感じあると思います、私は(笑)
 
・蝉は普通の殺し屋なの?
原作の蝉の最初のシーンは、主婦を殺すところから始まります。ホームレスに放火した息子を持つ主婦をナイフで切りつける蝉の、無慈悲な感じといったら最高なので、「こんな役やまちゃんがやってくれるのね!(泣)」と楽しみにしていたら、まさかの映画では、普通に悪そうなやつらを殺してる!!おいおい!!岩西と蝉みたいな個人経営の殺し屋は仕事がないから、普通の殺し屋がやりたがらない「隙間」的な仕事をやる殺し屋じゃなかったのかよ!
私は原作の蝉で好きな台詞があって、岩西の「いつも何考えながら、やるんだ?人を殺す時に」っていう質問に答えるところです。
 
「例えば、車を運転している時に、交差点の信号が黄色から赤になりかけたりするだろ。でもまあ、どうにかなるんじゃねえかとアクセルを踏んで、渡ることってあるだろ。」
「で、そうした時に前がつかえて、交差点の真ん中で停まることってあるじゃねえか。他の車の邪魔になるわけだ。そういう時、ちょっと悪いな、って思うだろ?」
「それと似てる」
「道、塞いじゃって申し訳ない。でも、そんなに迷惑じゃないだろ、勘弁してくれよ。そんな気持ちで、殺すわけだ。それに、俺が殺す相手ってのは、会ってみるとむかつく人間ばっかりなんだよな。うるせえし、鈍いし、身勝手だ。罪悪感なんて感じる必要もねえ」
 
蝉がこれほどまでに残酷?というか人を殺すことを厭わない性格だからこそ「隙間」の仕事ができていたわけで、隙間の仕事をやってるからこそ、鯨殺しの依頼が入ってきたっていうのが、好きなところだったんですけど、映画の蝉はずいぶんマイルドになっちゃって…。
 
けれど、殺しのシーンは大迫力で「うわっやまちゃん演技うまっ!」って素で思ったし、歩き方とかもいつもと違ってて、本当にやまちゃんすごいなあと思ったので、原作ほど無慈悲さがないのが本当に残念でした。映画の蝉だと、女子供は殺さず助けちゃいそう(笑)
多分、映画は原作の寺原グループの2人組がリンチしてるところに、蝉が勝手に通りかかって怪我させるシーンをイメージして(あそこで蝉は寺原により興味を持つ)、殺しの依頼のひとつとして描いたらあんな感じになったんでしょうね。映画は短縮しなきゃだもんね。
 
でも、ナイフで相手を切るときに目を瞑るところとか、しなやかな身のこなしとか、俊敏な動きとか、本当にすごくて、ほんと、私の拙い言葉じゃ表せないぐらいすごくて、これからの山田涼介の可能性を感じずにはいられませんでした。さすが絶対エースだリョースケ!
 
・蝉の服装
蝉は原作だと大量生産のTシャツとジーンズといった格好をしていると書いてありますが、映画だと殺し屋としては派手な、黄色と黒の服に身を包んでいます。この映画の黄色と黒の服にはなにか意味があるのでしょうか?原作の解説には「スズメバチ」はメタファーとして効果的な使い方をされていると書いてあります。「スズメバチの黄色と黒は警戒色で、危険が直近に迫っていることを示している」と。スズメバチという黄色と黒の服を着た殺し屋が出てこないぶん、こういうところで補完しているようにも感じました。見当違いだったら恥ずかしいです。
 
・寺原Jrの死
あの、CGがチープすぎませんか?(笑)車にはねられたときの吹っ飛び方がギャグみたいなんですけど…。あんな風にするぐらいだったら、はねられる直接的なシーンはいらなかったのでは?なんかあのCGは進撃の巨人の実写化見てるときと同じ気持ちになりました。
 
原作のはねられるシーンは特に印象に残っていて、解説にもあるように、"伊坂は徹底したカメラアイで「人体の破壊」を描いている"のが伝わってきます。視点の移動が「まさに、今、寺原Jrがはねられているところを鈴木が見ている」という感じで、臨場感たっぷりといいますか、すごく視点の移り変わりと描写が丁寧でした。私は気付かなかったのですが、ああいう、人間を「死ぬ」のではなく「破壊される」対象として描くことで、人間の死の意味を無化しているそうです。解説を読んで、グラスホッパーの群集相について改めて考え、なるほど、と思いました。あそこの文章の良さを映像で表現するのは難しいとは思うのですが、あのCGはなあ、と(笑)
 
あと交差点に蝉がいるのにびっくりしました。ただ通りかかっただけなのかな?「寺原Jrの死」という物語の重要な場面を鈴木、蝉、鯨が共有しているのは、原作よりもいいなと思いました。寺原Jrの死、つまり押し屋の働きによって3人の運命が交錯する物語なので、映画のほうがそれを暗示してるように思えてすごくドキドキしました!あそこは映画で良かった点ですね。
 
・槿を追う鈴木
ここはすごく原作に忠実だったように感じます。スルスルととても人を殺した後のようには見えない様子で家路につく槿を、気付かれないようにコソコソと追いかける鈴木。あまり違和感無く見れました。
ただ、槿が途中で鈴木の尾行に気付いている素振りがあるのが個人的には微妙でした。私は最後の大どんでん返しのようなネタバレが好きなので、鈴木と一緒に「こんなに暖かい家族に囲まれて普通に暮らしている人が本当に押し屋なのか?」という疑問を最後まで持ちたかった…。あんなシーン入れられたら、そこで押し屋確定じゃないですか!そこがちょっと残念でしたね。だから家の窓から去っていく鈴木を眺める槿のシーンも、「いやこの人押し屋じゃん!ここで押し屋確定だよ!」と思ってしまい、鈴木と一緒に色々考えを巡らせる感覚がなくなって残念でした。まぁミステリーではないので、これは完全に私個人の好みの問題ですね。
 
・鯨の住まい
あれキャンピングカーに住んでるの?(笑)でも、原作よりは納得する住まいだったかもしれないです。原作だと何故かホームレスと一緒に生活してるんだけど、人殺して大金もらってるのになんでこの人こんな暮らししてるんだ?ってずっと思ってたので。ただ、ホームレスと暮らしてないぶん、元カウンセラーで霊が見えるホームレスの役が映画で消えてたので、なんで鯨が全てを終わらせたいのかがよく分からなかった。突然色んな人を殺しにいってるように見えました。原作だと、元カウンセラーのホームレスが「過去をすべて清算して今やってる仕事を辞めれば、霊が見えなくなる」といったような助言(だいぶ簡略化してます)を鯨にしていたので、こちらも納得がいったのですが。鯨に関しては説明不足、描写不足が多い気がします。
 
・蝉としじみ
これはあんまり言うことないかも。映画も蝉のしじみ好きが伝わってきました。なんか蝉としじみって原作も映画もかわいいですよね。原作の蝉はしじみと人に関して
「人もこうやって、呼吸しているのが泡や煙で見て取れればもう少し、生きてる実感があるんじゃねえかな。行き交う人が、口からぷくぷくと呼吸を見せていたら、暴力も振るいにくいだろうな、絶対そうだ」
と考えています。
映画の蝉は
「人間もしじみみたいに呼吸すんのが分かれば、そうすりゃ殺すほうも殺されるほうも生きる意味ってのが分かる」
と言っています。
実感と意味では少し解釈も変わってきそうですけど、まあ概ね同じようなことですね。まぁ意味となってくると、蝉の生きる意味とか考え出してしまいそうになりますが…。
 
 ・岩西と蝉の関係
これは、うーん、「相棒」とか「ダチ」ってのは、言い過ぎじゃないかなー、と。うーん。なんだろう、やっぱり原作を読んでいると、違和感が拭えなかったな。
原作の蝉は、自由を渇望していて、でも反面岩西に認めてもらいたくて。そして岩西は実際には蝉を認めていて、「蝉は俺と関係ない、蝉は自由だ」と言って。言葉にすると違う気もするけど、1番近いのでいうと「親と子供」か「先生と生徒」みたいなイメージがありました。みんみんお喋りでうるさい蝉に対して、あくまで岩西が1枚上手というか。
けれど、映画の岩西と蝉は「相棒」やら「ダチ」になってるんですよね。岩西が「上司と部下」という関係をチラつかせると蝉はガチギレする始末。映画オリジナルの耳鳴りも、岩西と話をしていると消えるそうで。ウーン。もうちょっとドライな間柄でもいいかなと思いました。いや、うん、この2人に感じる違和感を言葉で説明するのは難しいな。とりあえず原作読んで映画見れば私の言いたいことはなんとなーく伝わると思います(笑)
 
まあ、「漫画:魔王」の岩西と蝉の関係性に感じる違和感よりはかなりマシだったのでよかったです。(漫画好きの人ごめんなさい)
ただ、仲良しアピするんだったらどこかに「岩にしみ入る蝉の声」ってフレーズ入れて欲しかったな〜。私が気付いてないだけで入ってるとかないよね!?
 
どうでもいいけど、岩西とのやりとりのときの蝉の「調子いいことばっか言ってんじゃねえぞ?」が素のやまちゃんっぽくてテンションあがりました。
 
 ・寺原と比与子のやりとり
原作には無かったシーンとして、寺原と比与子のモニターを通しての会話もありましたね。あそこも必要性がよく分かりませんでした。菜々緒をキャスティングしたことで、シーンを少し増やそうとしたのか?と邪推してしまうほど(笑)このシーンは鈴木と百合子の回想の次に要らないと感じました。ここで言われた「鈴木が押し屋に寺原Jrの殺害を依頼した」という嘘のタレコミの必要性も謎でしたが。こういうちょっとした要らないシーンがなければ、もっと全体的に勢いと疾走感のある映画になったんじゃないかな。巻き込まれ型エンタテインメントとはなんだったのか。
 
 ・蝉の耳鳴り
突如蝉を襲う謎の耳鳴り。映画オリジナルの演出で、原因などは作中で明かされませんでした。鯨でいう「亡霊」のように、これが蝉の罪悪感を表しているのかな?とも思ったけど、特に説明がないのでただの想像ですね。でも、この耳鳴り演出のおかげで、蝉が指と指の隙間にダンダンダンッてナイフをすごい速度で突き刺していくシーンがあって、そこがすごくナイフ使いの殺し屋っぽくて良かったです。本当に蝉がナイフ使うのが上手いってのがダイレクトに伝わってきた。すごく練習したんだろうなってことも。
けど、この耳鳴りがやまないかなっていうのが「人を殺してる時に考えること」になってて驚きました。蝉が人を殺す時に考えることは、「道、塞いじゃって申し訳ない」って程度のことじゃないのかよ!そこが好きだったのに!「耳鳴りやまねえかな」って思いながら人殺してんのかよ!まあ、「耳鳴り=罪悪感」説が正しいとすると、映画の蝉は人殺してるときにやっぱり罪悪感あるのかなぁとも思ったりも。あと何と言っても観客の私の耳もキーーーンだよ、耳が痛いわ!!!!!
 
・謎の猫
にゃ〜ん。何故か頻繁に登場する猫。蝉も鯨もにゃんこには優しいようです。原作では思いもよらぬところにメタファーがあるので、原作に登場しないこの猫も何かを意味しているのかと考えてはみたものの答えは出ず。普通に死の予兆ってことでいいのかな?どなたかあの猫について上手い解釈のある方は是非教えて下さい!鯨が岩西が車につけたGPSに気付くために必要だったとしても、蝉が猫とじゃれるシーン、最後鯨と蝉が車で去ったあと猫が歩いてるシーンは必要性が不明…。鯨が過去に親に猫を川に捨てさせられたエピソードと、猫の登場はどちらが先に決まってたのかが気になります。ただ猫に優しい蝉は可愛いからイイネ!
ちなみに「迷子の黒猫」というフレーズは中二臭くてちょっと笑ってしまいました。岩西ゴメンよ。
 
・無駄に多い百合子との回想
この映画が途中でだれてるように感じる原因は100%これのせいだと思ってます(笑)私の近くで見てた人途中で寝てた……。この回想いりますかね?原作の一部が省かれるのは映画だからしょうがないとして、一部省いたのにこういうの入れてくるのは本当に意味が分からなかった!この回想が重要な何かにつながるわけでも無く…。まぁタイムカプセル(笑)にはつながってましたけど。このたくさんの回想のために鈴木の妻にも名前をつけたのかもしれませんが、本当に1番要らないと思うのがこの回想シーンでした。
 
・鈴木が押し屋に依頼したというタレコミ
すみれたちのグループが、鈴木を寺原に追わせ、厳重な警備があるところから寺原を出すという目的のもと流した嘘ですね。ん〜私か最後のすみれの説明をよく聞いてなかったからかもしれませんが、これも必要性が…。いずれにせよ押し屋を見つけるために鈴木を追っていたはずなのに、この嘘を流す意味はなんだったのでしょうか?私がすみれの説明聞き逃してるだけだったらほんとすみません。
 
 ・桃の店
原作では「ポルノ雑誌を沢山置いてる怪しい店」みたいなイメージがあったから、映画でどうやってこの店表現するのかなと思ってたら、大量にTE○GA置いてあって笑いました。本当に、かなり笑った。見間違いじゃなければあれはTE○GAだと思います。間違ってたら恥ずかしいですけど。山積みの人形?(ダッチワ○フ?)はなんのイメージなのか掴めなかったです。でも、怪しげな店のイメージは出てるなって感じました。できれば蝉もあの店にいって、
「裸の女が表紙の雑誌が、ずらっと並んでいるんだぜ。壮観じゃねえか。なんか俺は、ああいうのが好きなんだよ。気取った恰好をした女よりは、ああやってポーズを決めて、服を脱いだ女のほうが偉いように思えるんだよ。隠し事がなくて、安心する。潔くて、むしろ清楚に感じるほどだ」
の台詞言ってほしかったな〜!まあジャニーズは無理か…。
 
・鈴木がサッカー下手
原作だと鈴木もまあまあサッカー上手い感じなのに、映画だとヘッタクソでびっくり。ついつい子供相手にサッカームキになって、ひたすらサッカーすることで、何も解決してないのに解決した気になるのが原作の鈴木だけど、映画だと下手すぎてパスすら続いてなかったような。やっぱりこれも鈴木をヘタレにして個性を出すためなのかな?まあでも別にこれは特に言うことないです。群集相のこと話すシーンに早くつなげるためにこういう感じにするしかなかったんだろうな〜と思いました。受け止めそこなったボールを取りに行ったら槿が来るところとかは、うまくまとめたなーって。
 
・岩西が鯨に殺されるところ
ここは割と良かったですね。特に、岩西が自殺する前の「死ぬんじゃなくて飛ぶんだ」という台詞をそのまま使っていたのは、好きな台詞だったので嬉しかったです。また、鯨から自殺させられるときは罪悪感や罪の意識があるはずですが、岩西は原作でそれが描かれていなかったので、映画でそれが分かって良かったです。岩西は蝉を殺し屋稼業に引き込んだことに罪の意識を感じていたんだなぁ、と。原作で蝉は「岩西に出会う前の記憶がない」と言っていたので、その辺のつながりも見えて、とても良かったと思います。
 
 ・パスタじゃなくてデリバリー
私パスタ好きなんですよね!で、小説だとすみれの作るパスタがすっごい美味しそうに書かれてて、映画でパスタ見るの楽しみだな〜どんな美味しそうなパスタかな〜と思ってたら、まさかのパスタ無し!?!?映画の槿の家で出された料理はピザとか寿司とかデリバリーされたものばっかりで、すみれの手作りパスタ無し!!!地味にこれがショックでした(笑)また、ぐるぐるに巻かれたパスタが何気にメタファーのひとつでもあったので、これも無しかーと。
 
・僕の代わりに殺してくれたお礼?
映画で、鈴木は「寺原たちのグループがこの家を襲いにくる!」と押し屋である槿に忠告します。この時に何故それを教えてくれるのかと槿に問われると、鈴木は「寺原Jrを殺してくれたお礼」と答えます。鈴木はむしろ妻の復讐を糧に生きてるイメージがあったので、鈴木が押し屋に「殺してくれたお礼」っていうのは、しっくりこなかったです。原作小説のあらすじのでは、「復讐を横取りされた?嘘?」とも言っています。なので、お礼というのは安直すぎるかなと。鈴木と槿の家族が仲良くなる過程がだいぶ省かれているのでそう感じたのかもしれません。
 
・岩西の死体を見る蝉
このシーンも必要性が分からなかったかも。電話で岩西が死んだってことは分かったはずだし、「迷子の黒猫」も電話で言ってたし…。岩西の仇として鯨を殺すのを強く表現するためにこのシーンを入れたのかな。まぁ「ダチ」とか言ってるぐらいだし、映画では必要だったんでしょうかね。原作だと、蝉は鯨との戦いの場面で岩西が死んだことを聞かされるので、死体を見るもなにもないんですけど(笑)
 
・鯨の虐待されていた過去
私、なんかこういう過去があるせいでこういう悪い人になりました〜っていう展開がどうも苦手で。悪い人にはとことん悪い人でいてほしいんですよね。同情する過去があると、悪いことをしているのが正当化されるような雰囲気が嫌ですね。あとからそういう過去を出されると言い訳のように感じてしまいます。Waltzという一部グラスホッパーの内容がある漫画でも、蝉が虐待というか育児放棄されていたせいで、ああなったというような経緯が描かれています。あれも残念でした。あくまでフィクションの中の話限定ですが、同情の余地なく悪いやつのほうがどうも私は好感が持てるんですよね…。なんなんでしょうねこれは。
 
 ・バカ女の仲間の存在
押し屋が寺原Jrを押したときの周りにいた2人、そしてバカ女と話してた2人が、すみれ達と同じく原作でいう「劇団」の役割だったのでしょう。つまりあの2人はすみれと子供たちとも仲間、そして押し屋とバカ女は依頼された側ということですね。原作ではスズメバチのことは詳しく書かれていなかったので、バカ女があの2人と話したりしているのがなんか意外でした。
 
・鈴木への拷問
妻である百合子が子供をかばったせいで事故にあったことを映像によって知る鈴木。これが最後のタイムカプセル(笑)にも繋がるのですが、私はあの映像が何故残っているかを考えていました。あれは寺原グループが今後の資料映像として残しておいたのでしょうか…?それにしてもよくあんなピンポイントで…?つっこみどころあるけれど、この映画は基本ご都合展開だからしょうがない…。まあ、あのタイムカプセルオチをつけるため、妻百合子の死に意味を持たせるために付け足したのかな。私は原作のゆりこの死になんの意味もないところが寺原Jrのクズさ、非道さを際立たせていて好きでした(笑)
 
また、蝉が助けに来ず、鯨の寺原襲撃とバカ女のおかげでなんとなーく鈴木が助かったのはちょっと笑えました。でもバカ女、所謂スズメバチがちょっといい奴に描かれると、ますます「マリアビートル…」と思ってしまうのでした。
 
・鯨 vs 蝉
めっっっちゃすごかったです。この映画はこのシーンのためだけにお金払う価値あると思います。これは何回も言うけど、首絞められてるやまちゃんの演技は見てるこっちも苦しくなるぐらいすごかったです、迫真でした。キーンからの耳を切るシーンも「やまちゃんこんなんもできるんだ…!」と思いました。けれど、ナイフ使いの殺し屋なのに、耳切ったあと「こいつぁもういらねえや」っていってナイフ捨てて殴り出したときは、びっくりしました!「ナイフ使いなのに最終的に殴る蹴るかよ!」って!でも、一回ターン入れた蝉の蹴りがちょーかっこよくて、ダンスみたいに綺麗だったのでオールケッケーです!蝉サイコー!!マジサイコー!!!
 
しかし、最後の2人で飛び降りて死ぬところは意味が分からなすぎて笑っちゃいましたね〜(笑)あそこは原作通りでよかったのでは。最後に押し屋が鯨を殺したのか?どうなのか?という含みをもたせた感じ、最後まで押し屋によって3人の運命が交わる感じがグラスホッパーの醍醐味なのになぁ、と。あと原作は、「自殺させる殺し屋の鯨が唯一手こずって銃を使って殺したのが蝉」というのが私の中で重要でした。岩西が蝉を「自分の部下が、予想以上の仕事をやるってのは気分がいいだろうが」って言ってたことを鯨も実感した、鯨も蝉を認めた、という点において、鯨が蝉を銃で殺すのは重要だったと思うので、そこがなかったのがなんか気に入らなかったです。蝉は銃で殺され、鯨は押し屋?に殺されるっていうのは原作通りにしてほしかったかなぁ。
 
けど蝉の「そいつぁヘビーだなぁ」が最高だったのでやっぱり許しちゃうよ☆
 
・目を覚ましたあとの鈴木
寝てる間に全てが終わってる鈴木(笑)しかも蝉の幽霊に「なんだアイツ?」とか言われる鈴木(笑)原作では拷問にあってる鈴木を助けに?というか奪いにきた蝉に、映画では「なんだアイツ?」と言われる鈴木(笑)この接点の無さ、3人が出てくる意味あるのかと思うほどでした。あのスクランブル交差点でしか接点ないじゃないか。原作だと、鈴木・蝉・鯨/押し屋で分けられてるイメージがあるけど、映画だと鈴木・押し屋/蝉・鯨で分けられてるイメージ、のような…。ウーン…。全然運命交錯してないじゃん(特に蝉と鈴木)、というのが正直なところ。やっぱりあの形式の小説を映画化するのは難しいんですかねえ。
 
・鯨と蝉の幽霊
蝉の幽霊を鯨が見るのは分かるんですよ。でもなんでこの2人が幽霊になって、死んだ途端突然意気投合して、「しじみ見にいこうぜ!」って一緒にキャンピングカーに乗るのかは分からなかった…。蝉、岩西を殺した相手だぞそいつは…さっきまであんなに憎んでたじゃん…(笑)どうにかこうにか救いのある展開にしようと足掻いた感はあるんですけど、救いどころか急展開すぎてモヤモヤだけが残りました。幽霊が見えるのは鯨だけで、それさえも幻覚かもしれないっていう設定はどこに。あの鯨と蝉の幽霊は一体誰の目に映ったものだったのか、誰かが見ている幻覚なのか。なにもかもハッキリせず、マイナス要素としか思えなかったです。
 
・1年後に知らされる真実
唐突に鈴木が働いてるところにくるすみれ。なんで1年後なのかは分からなかったです。いや、引っ越す前に普通に教えてやれよ(笑)と思いましたが。「ほんとは教えちゃいけないんだけど…」っていう台詞も、いや思春期の女子中高生かよ(笑)みたいな。
まあ、とにかくここで、「本当の犯人は別にいる。フロイラインの寺原親子を調べろ」っていう冒頭の手紙もすみれ達の勢力?がわざと落としたと分かったわけですね。つまり最初から騙されていたと。ん〜でも原作読んでたのであまりびっくり感もなく、へ〜って感じで聞いてました。でも、初見の人にはあそこがないと分からないだろうし、まぁ大事なシーンですよね。視聴者向けに説明してる感がすごかったのは否めませんが…。もう少し映画の雰囲気に合わせて自然にネタばらししてほしかったなぁ。
 
・タイムカプセルだぁ(笑)
なにこの映画のオチ。ちょっともう、なんていうか…。これはないなぁ。なんで最後感動物語になってるのか。子供が事故現場の指輪勝手に拾って、そんなもんほっとけば勝手に遺留品扱いになって鈴木のもとに戻ってるはずなのに、わざわざ1年越しに鈴木に渡して、タイムカプセルだあ!って(笑)劇団という設定を無くして、子供が比与子に嘘の住所教えるのも、子供が昆虫好きでシールくれるのも、なくしたわけで、映画だとめちゃくちゃ子供の影が薄いと思った矢先にタイムカプセルオチですよ。もう子供の設定をご都合主義で変えてるとしか(笑)全然納得できませんでした。バカジャナイノー!
 
・レンチンで終わる
タイムカプセルからのレンジで温める流れ、綺麗にしようとしすぎてわけが分からなくなってる気がします。殺し屋の映画って銘打ってるのに綺麗に終わらせる必要ないと思うんですよね。後味の悪い、生臭いままでよくないですか?まあ原作の最後は表現しにくいのは分かってるんですよ。オチが分かりにくい。ずーっと電車が通過していくのを見てるとかね。
けど、小説グラスホッパーのいいところはここにあると思っています。
 
文庫版グラスホッパーですと、P165に
「兆候はあるんですよ、幻覚のしるしは。例えば、街で立っている時に、目の前の信号の点滅がちっとも止まなかったり、歩いても歩いても階段が終わらなかったり。駅にいる時も、通過する列車がいつまで経っても通り過ぎない、とか、この列車ずいぶん長いなあ、なんて思ったら、まずい兆候ですよ。そういうのは全部、幻覚の証拠です。信号列車は、幻覚のきっかけになりやすいんです。信号はたいがい見始めの契機で、列車は目覚めの合図だったりします」
という元カウンセラーのホームレスが鯨にいう台詞がありますね。
 
そして、P22に戻ると、
「茫然とした気分で、フロントガラスを眺めた。交差点の歩行者信号の青色が、点滅をはじめる。その点滅がゆっくりに見える。いくら待っても、赤にならない。この信号いつまで点滅しているんだよ」
という鈴木の心の中の台詞があります。
 
最後、P335では
列車が通り抜けていくのを、鈴木はじっと眺めながら、『それにしてもこの列車、長くないか』と、亡き妻に向かってこっそりと言う。回送電車は、まだ通過している」
という鈴木の心の中の台詞とともに、この物語は終わります。
 
そうです、「もしかして、鈴木が体験したことはすべて幻覚?」と思わせるような表現が物語の最初と最後にあるんですよ。私はこれが小説グラスホッパーの所謂「オチ」だと思っています。うわ〜幻覚かな現実かな〜どっちなんだろ〜と読後も悩むまでがオチ。
でも、映画の最後はなんなのかよく…タイムカプセルオチってことですよね?(あの冷凍されてた食べ物、だいぶ前のものであるはずなのに、腐ってないのかな…とか思うところはあったけど、タイムカプセルならしょうがない!☆)
 
私が気付いてないだけでなんかまともなオチがあったらごめんなさい。
 
 
まとめ
とまあ、ひとまず箇条書きを読んでいただいたところで、小説、映画、それぞれのあらすじを改めて見るとこんな感じです。
 
小説:「鈴木、鯨、蝉、三人の思いが交錯するとき、物語は唸りをあげて動き出す。疾走感溢れる筆致で綴られた、分類不能の殺し屋小説!」
映画:「接点などないはずの三人の運命が、東京・渋谷で起きたある事件を機に交錯し、それぞれが思わぬ事態に巻き込まれていく。」
 
映画の「それぞれが思わぬ事態に巻き込まれていく」っていうのが、今見るとあーって感じですね。ほんとにそれぞれじゃんって。しかも映画で鈴木と蝉の運命はあんまり交錯してないですよね。原作の鈴木の結婚指輪を拾った蝉、さらにそれを拾う鯨、そしてそれがまた鈴木の手元に返ってくる、というのも、映画のタイムカプセル(笑)によってなくなったわけですし…交錯とはなんだったのか。
 
原作は面白い、キャストも申し分ない、アクションもすごい、なのになんだか途中でだれてる気がする…。そんな映画でした。JUMP担で見てない人がいれば、「やまちゃんのアクションがすごいから絶対見た方がいい!!」と勧められる自信があるのですが、一般の友達には「これ面白いから見た方がいい」と勧められるものではないかな…。
原作の最後のどんでん返し感というか、ミステリーではないんだけど、鈴木と一緒に色々考えてた結果最後に謎が解ける感じがないのも残念要素のひとつなのかもしれません。原作のジャンルは一応ハードボイルドなので、そこにやたら綺麗な思い出の回想や、タイムカプセルなど、綺麗な話を入れたことで雰囲気に一貫性がなく散らばったような感覚になるのもあんまり…。
また、私自身、試写会を見た山田担の絶賛ツイート(主に山田のアクションに対して)をよく読まずに、映画全体の感想として受け取っていたのですごく面白い映画なんだ!とハードルを上げていたことがダメだったな、と。さらに言えば、伊坂幸太郎の小説を読むのはグラスホッパーが初めてでしたが、私は普段もまぁまぁ本を読む人なので、本に対する思い入れのほうが強かったのもいけませんでしたね。全然伊坂ファン、原作ファンではなかったけれど、丸一日で一気に読めるぐらい勢いのある面白い小説だったので、それを映画に求めていたのが間違いだったようです。
ウーンでも、単にdisりたいわけではなくて、映画化するにあたって仕方ないこともあって紆余曲折を経てこうなったんだろうなぁ、と思うとあんなに視点が変わる長い小説を2時間にまとめきったことはすごいなあとも感じましたね。
 
マリアビートルの実写化は、あるのかな?グラスホッパーより難しそうですね。私はグラスホッパー買うついでにマリアビートルも買って一気に読みましたが、マリアビートルの方が面白かったです。胸糞度はダントツでマリアビートルの勝ちなんだけど、その分最後のスッキリ感もひとしお。
もし実写化するなら蜜柑を裕翔くんにやってほしいなあ。できれば檸檬は菅田くんで!まぁその前に裕翔くんの演技力の向上が課題かな?(笑)
とりあえず、キャストが誰でもマリアビートル実写化するなら楽しみなので、そのときは上手くいくといいですね〜!!
 
最後に、私が映画観ながら必死でとったメモの画像を置いておきます。暗いので手元が見えず、また音を立てないようにメモをとっていたので、悲惨なことに。本当はPDFにしたかったんですけど、はてなブログにPDFをアップする方法が分からなかったので、8枚汚い画像が続きますがお許し下さい…。
 
 

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私でも解読できないところたくさんあるので、全部解読できた人はすごいです。

久しぶりに更新したのがこんなんでごめんなさい。こんな長い文章読んでくださってありがとうございました。でもこれでも書きたいこと全部書けたわけではないので、また後日別記事をアップするかもしれません。

そして、裕翔担である私にここまでグラスホッパーについて考えさせるきっかけを作ったやまちゃんすごいですね。あんたがスター山田だ!

 

 おまけ

鯨ごっこをするマイメロちゃん

マイメロ「誰かが責任を被って、自殺するというやり方は、それなりに効果があるんだ」

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マイメロ「誰かが自殺すると、面倒臭くなる。効果があるんだ」

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マイメロ「生贄を差し出されると、理屈に合わなくても、それ以上責めるのが面倒臭くなる」

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マイメロ「俺の目を見ろ」

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 おわり。